最近、SNSやニュースでよく見かける「Sora2」という映像生成AI。
テキストを入力するだけで、まるで実写のような映像をつくり出すことができます。
正直、初めて見たときは「ここまで来たのか」ととても驚きました。
人物の動き、光の反射、背景のぼかし方——
どれを取っても人間が撮った映像と区別がつかないレベル。
数年前までは“AIの映像”といえば、どこかぎこちなかったのに、
いまは一瞬見ただけでは見分けがつかないほど自然になっています。
よく見ると、まだ不自然
ただ、何度か見返しているうちに、確かにクオリティは高いけれど、
よく見るとやっぱり少し不自然なところがありました。
人の目線がどこか合っていなかったり、髪の動きに違和感があったり、
文字が変になっていたりしました。
ただ、その“見極める”という行為自体が、とてもエネルギーを使うようになってきたな
と感じたんです。
これが本物なのか、それともAIが作ったものなのか。
いちいち頭の中でジャッジをしながら見る。
これが、思っている以上に疲れるなと感じました。
SNSを見ることが「疲れる」理由が変わってきた
以前はSNSを開くときって、「なんとなく気分転換に」という人が多かったと思います。
でも、Sora2のような技術が普及していくと、
「これって本物なのかな?」と毎回の動画で考えてしまうなと思いました。
情報を受け取るだけだったSNSが、
いまは“見極める”ことを求められる場所になりつつあります。
たとえば、感動的な動画を見ても、
「もしかしてAIで作ったのかな」と思ってしまうだけで、
心の動き方が少し違ってきませんか。
それが積み重なっていくと、
なんとなくSNSを見ること自体が、少し疲れるものになる気がします。
これからは「何を信じるか」より、「誰を信じるか」
こんな時代だからこそ、
私は「何を信じるか」よりも「誰を信じるか」が大事になると思っています。
AIの映像は、どんな物語でも描けるようになっていくと思います。
でも、そこに“誰の想いがあるのか”はAIにはつくれません。
誰が撮ったのか。
誰が伝えたくて、どんな想いで作ったのか。
そこに“人”がいることが、
これからの時代における信頼の証になる気がします。
SNSとの距離感も、少しずつ変わっていく
もしかすると、これからSNSを「なんとなく眺める」ことは減るかもしれません。
ただ眺めるだけの時間ではなく、
自分が本当に信頼できる人や、共感できる人の発信を見るようになる。
そんなふうに、“情報を選ぶ感覚”が磨かれていく時代になる気がします。
そしてそれは、悪いことではないと思っています。
見極めるエネルギーが必要になったぶん、
「誰の言葉に耳を傾けたいか」を自分で決められるようになる。
そこにこそ、これからの“リアルなつながり”があるのかもしれません。
「見抜く力」より「感じる力」を
Sora2を見て感じたのは、
テクノロジーが進化すればするほど、
人の“感じる力”が大切になるということでした。
たとえAIが完璧な映像をつくるようになっても、
そこに込められた想いを感じ取れるかどうかは、人間にしかできません。
これからは、
映像のリアルさよりも、
言葉の重み、声の温度、背景にある想い——
そんな“見えないリアル”を感じ取れる人でありたいなと思います。
まとめ
Sora2は、映像の世界を変えるほどの技術革新です。
でも、その進化が問いかけているのは、
“信頼”や“本物”の意味。
便利さの裏で、私たちの見る目や感じる力が試されている。
だからこそ、これからは「本物かどうか」よりも、
“心で信じられるもの”を選ぶ力を磨いていきたいと思います。